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石見銀山とDOWA

石見銀山遺跡(島根県大田市)がユネスコの世界遺産に登録されてから早10年が経過しました。
世界遺産登録10周年を迎え、石見銀山の歴史とDOWAとの関わりをご紹介します。

■石見銀山の歴史とDOWA

石見銀山は出雲大社の南西部、島根県大田市のほぼ中央に位置しています。

鎌倉時代に発見された石見銀山は、戦国時代に入ってから本格的な開発が始まり、江戸時代にかけて日本最大の銀山として繁栄しました。

明治に入り、DOWA創業の地・小坂では、1884年(明治17年)に藤田伝三郎率いる藤田組が明治政府から官営・小坂鉱山の払い下げを受け、DOWAの歴史がスタートします。その2年後の1886年(明治19年)、藤田組は石見銀山の採掘権の一部を買収し、またさらに翌年の1887年(明治20年)には石見銀山の全ての採掘権を取得し、石見銀山の操業をスタートさせました(藤田組は当時、石見銀山という名称を使わず、地域の名前を取って「大森鉱山」と呼んでいました)。


隆盛を誇った大森鉱山の製錬所も現在は遺構隣積みあがったレンガが当時の姿を忍ばせています。

操業を開始して間もなく銀鉱石の枯渇が判明し、1902年(明治35年)には銀鉱山から銅鉱山として操業します。大森鉱山で生産された粗銅は小坂へ送られ、最盛期には小坂で生産する銅の約1割が大森鉱山の粗銅からのものだったと言われています。しかし、徐々に鉱量が落ち込み、自然災害などの影響もあって、1943年(昭和18年)に閉山となりました。

■石見銀山が世界遺産に!

大森鉱山の閉鎖から26年後の1969年(昭和44年)、大森鉱山の坑道である「龍源寺間歩」や「大久保間歩」が国の指定文化財に指定されました。

鉱山閉山後も、DOWAグループは観光活動や発掘・文献調査に協力をしてきました。そして、2007年に大森鉱山は石見銀山遺跡として世界遺産に登録されました。現在でも600箇所以上の採掘跡や坑道跡が山中に残っていますが、森林資源の適切な管理も行われ、豊かな山林も残しています。石見銀山は、鉱山遺跡と豊かな自然環境が一体となって文化的景観を形成している、世界的にも極めて貴重な遺産と言えます。

■石見銀山世界遺産センター

石見銀山の観光の起点は、石見銀山の模型、映像、レプリカ、再現品が展示されている「世界遺産センター」です。ここでは石見銀山の歴史や鉱山技術を学ぶことができるのはもちろん、DOWAも都市鉱山に関するパネル展示などを行っています。過去には小坂製錬で製造された銀インゴット(4N、30kg)を寄贈しており、現在でもインゴットを直接持って30kgの重さを体感することができます。

■行楽シーズンは、ぜひ石見銀山へ

石見銀山は、間歩(坑道)や製錬所跡といった鉱山関係の遺跡だけではなく、商家や代官所など、江戸時代に建てられた建物が残っており、情緒あふれる街並みになっています。石見銀山の港町だった温泉津には温泉もあり、世界遺産の範囲に入っています。

また、出雲空港から石見銀山の間には、縁結びや神話で有名な「出雲大社」や、350本超の銅剣や銅鐸が発掘された「荒神谷遺跡」など観光名所もたくさんあります。行楽シーズンには、石見銀山と出雲観光をセットで訪れてみてはいかがでしょうか?

【参考ホームページ】

石見銀山世界遺産センター


上田 この記事は
DOWAエコシステム 環境ソリューション室
上田 が担当しました

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