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利便性の追求とは何か?

2015年10月21日はあの有名な映画「Back to the Future 2」において主人公であるマーティーが30年後の未来としてやってくる日だったそうです。30年前に将来はこうなっているだろうという推測の元で、映画が作られており、30年後である今現在は、どれだけのその推測が当たっていたか?という検証が行われたようです。
(30年前にどのような会議が行われて、こういう未来を想像したかにとても興味がありますが、そういった記録が残っているかは判りません。)

この検証においては、特に技術面がクローズアップされていて、自動で紐が締まる靴、濡れていても自動的に乾燥する服や、空飛ぶ自動車、ゴミをエネルギーとする車、3Dのホロスコープのようなものなど、実在できたものや間に合わなかったものといろいろあったようです。また当時の推測を超えてしまったものとして、スマートフォンがあったそうです(劇中では30年後の連絡手段がまだFAXだった)。この話はいろいろなサイトで確認できると思いますので、ご確認ください。

逆に30年後はどうなっているだろうか?ということを考えみました。

  • 靴紐を縛ることが面倒⇒自動靴紐靴
  • 衣服をすぐに乾燥させたい(自動乾燥服)
  • 渋滞や道路自体を無くす⇒空飛自動車
  • 再生可能エネルギーの必要性⇒ゴミの活用

といった、現在の我々が抱えている要求や問題に対する解答として、利便性の改善のために様々な技術開発、製品開発が行われ、文明機器が産みだされ続けていると思います。よって、我々が今感じている欲求に対して技術は開発されていると思います。

ただ、スマートフォンについては、新たな欲求を我々に作り上げたような気がします。携帯電話という利便性の機器をベースに様々な機能をそれに盛り込み、我々が欲している以上の利便性を提供することで、我々の要求水準を上げてしまったかのようにも思います(一度、スマホを持ってしまうと、止めれないのもそのせいかと思います……)。
だから30年後にはどのような欲求が生み出され、どのような文明の利器が開発されているかはまったく想像がつきません。

さて、先日、学生の発表を聞く機会がありました。その発表では、利便性の追求によって、人間的な幸福が失われているかもしれないという議論がありました。私も以前に何かで読んだのですが、江戸時代以前には、水汲みや洗濯など生活のあらゆる活動において、近隣とのコミュニケーションが必要であり、その結果、近隣との互助をベースとするコミュニティーが形成されていた。

しかし、現在は利便性を追及するあまり、人とのの接触が少なくなり、人間同士の接触が希薄になってきている。確かに過去では人間同士の互助がなければ生活が出来なかったものが、現在では1人でも生きていける世の中になってきている、また利便性の追求とは他人との接触を無くすことなのか?利便性の追求は人間性の喪失かであり、悪なのか?とも感じながらこの発表を聞いていました。

ところがある先生が、「君は手で洗濯したことがあるか?」「ないならやってみろ。昔は真冬でも手にあかぎれを作りながら冷たい水と洗濯板でやっていたんだ!」「だから利便性を追求して生み出された洗濯機はすばらしい文明の利器だ!我々に幸福をもたらしている」という話をされました。
私は洗濯板で洗濯をしたことはありませんが、洗濯機がないと困ります。ただ、川で洗濯をしなくてよくなったという感謝の気持ちもありません。

大事なことは、利便性に対して感謝すること。得られた時間を有意義に使うこと。と思います。

人の欲求は尽きないため、便利になればなるほど、さらに要求が増えます。その欲求に応えるために新しい技術やシステムが開発され、さらに利便性が向上されていく。飽くなき欲求とそれに対する利便性の追求には終わりがないかもしれないが、そこに過去の苦労を知り、そっと感謝の気持ちを入れておくことが重要、と考える今日この頃。


この記事は
DOWAエコシステム 環境ソリューション室
三戸 が担当しました

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