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節分

寒さ厳しい2月になりましたが、暦のうえではもうすぐ春ですね。

2023年は、2月3日(金)が節分。
各所で豆まきの声が聞こえてくる、楽しい季節行事の日です。

■海外から見た節分

(筆者撮影)

日本人にとっておなじみの行事でも、外国人からすると不可思議に映る「節分」。
豆をまくときの、「おにはそと ふくはうち」というかけ声が、なんとも面白く聞こえるのだそうです。
ギリシャ生まれの作家で、日本に帰化した小泉八雲は、「主に悪魔払いの儀式として有名」と、自身の著書の中で紹介しています。
悪魔払いとは穏やかでない……と思いきや、紹介文はユーモラスなものです。

悪魔が白豆を嫌う由来をも、私は発見することができない。が、この嫌悪の点については、白状すれば私も悪魔と同感だ。

引用:小泉八雲『知られぬ日本の面影』二つの珍しい祝日より(小泉八雲全集第3巻 昭和6年12月10日発行)

たしかに、鬼が豆を嫌う理由は、日本人である私にもよく分かりません。
海外からすると、そんなところも面白く、日本らしい平和な行事だと思われていたようです。

■本当は年に4回ある

(出典)photoAC

節分は、年に一度ではないのをご存じですか?
季節の移り変わる日を「節分」と呼ぶことから、正しくは春夏秋冬の計四回。
つまり、「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日すべてが、節分に当たります。
ではなぜ、春の節分だけが有名なのでしょうか。

「立春」は、旧暦では正月節にあたり、一年の始まりとされていました。
この「年かえ」の節目が重んじられたことから、立春の節分だけが特別扱いされ、「節分といえば立春の前日」という認識が定着したそうです。

(筆者撮影)

「春が立つ」とは、なんとも美しい日本語ですよね。
ところが昔は、「季節の変わり目には邪気が生じる」ともいわれていました。
兼好法師の書いた『徒然草』にも、大晦日の夜に「追儺(ついな)」が行われる様子が記されています。
「追儺」というのは、鬼やらい(邪気払い)のこと。当時の朝廷で行われた年中行事で、鬼に見立てた人を殿上人が追い回し、逃走させる、というものでした。

大晦日の夜には、大の大人がみんなで真面目に鬼ごっこをしていたということでしょうか。
人が追いかけるのですから、鬼ごっことは逆のようですが。

(出典)百鬼夜行絵巻[江戸中期](国立国会図書館デジタルコレクション)

この「追儺」は、中国の「大儺(たいな)」という儀式が源流になっていて、文武天皇(706年)の頃からあったといわれています。
今から約1300年前ですから、そんなに古くから現代まで続いている文化なのですね。

少し前には、鬼退治のマンガが流行りました。あれは大正時代のお話でしたか。
昔の人々にとって、鬼は邪気であり、災いそのもの。その存在は、現代以上に身近だったに違いありません。
鬼やらいである追儺の儀式は、新しい年を迎えるのに大切な行事だったのでしょう。

一方、この頃の「豆まき」といえば、災害除けと延命・長寿を目的として行われていました。
「追儺(鬼やらい)」と「豆まき」は、本来別々のものだった、ということです。
これがいつ頃一緒になったのかは分かっていませんが、公家や武家から民間の行事として広まり、江戸時代にはすでにその風習が定着していたといわれています。

■なぜ炒り大豆?

(筆者撮影)

大豆が豆まきの主流になった背景には、多くの説があります。
「五穀の中でもっとも手頃だった」から、
「鬼毒を殺し、痛みを止めると中国の医書に書かれていた」から、
「霊力を持つ豆をまくことで、病や災いを祓い、力をもらえる」から、などなど。
「魔滅(まめ)=魔を滅する、という意味が込められている」から、という説もあります。
日本人らしい語呂合わせというか、さもありなんと思いませんか。
地域ごとに特色のある節分の風習ですが、炒った大豆を用いるところはほとんど共通しているようです。

ところで、節分のルールはご存じでしょうか。
「とにかく豆をまけばいいんでしょ」と思っている方、実はやってはいけないルールが存在します。
それは「生の豆をまく」こと。

「豆を炒る」のは「魔(鬼)の目を射る」意味だといわれています。
さらに、生の豆は土に落ちると芽(鬼の目)が出てしまうので、縁起が悪いのです。
豆をまくときには、炒った豆を使いましょう。

また、鬼は夜(丑寅の刻)にやってくるといわれています。
豆まきは、日が完全に沈んだ夜に行うのが理想だそうですよ。

■狂言の演目にも節分(豆まき)が登場

民族学者の小松和彦さんによると、人という概念の対局に位置するのが「鬼」なのだそうです。
「心を鬼にする」なんて言いますが、鬼は人と違って、見た目も中身も恐ろしいですよね。

古くから伝わる『和泉流狂言大成 第3巻』にも、節分の鬼が登場します。
(古典そのままですが、Amazon Kindleでも閲覧できます)

(出典)阪卷耕漁「節分-謠曲狂言」『風俗画報』(国立国会図書館デジタルコレクション)

内容を簡単にご紹介すると、こんな感じです。
鬼は人間の女性に好意を抱いて、気を引こうとするものの、冷たくされ泣いてしまいます。
女性はそんな鬼に「宝を出せ」と、詰め寄ります。
なんとしても女性に気に入られたかった鬼は、大切な宝を渡してしまいます。
すると女性は節分の豆を取り出し、「福は内、鬼は外」と言って鬼を追い払ってしまうのです。

純情で人間的な鬼と、鬼のような心をもつ女性。
なんだか人のあり方を考えさせられますね……。

日本人が「鬼」について話す機会が一番多いのは、節分の日ではないでしょうか。
あなたも親しい誰かと「鬼」について語らってみると、新しい発見があるかもしれません。

【参考文献】

  • 小松和彦『鬼と日本人』角川ソフィア文庫、2018、鬼を打つ ―節分の鬼をめぐって
  • 小泉八雲『知られぬ日本の面影(小泉八雲全集第3巻)』第一書房刊、1931、二つの珍しい祝日
  • 新村 出『広辞苑 第六版』岩波書店、2008、節分
  • 山脇和泉『和泉流狂言大成 第3巻 (国立図書館コレクション) Kindle版』Kindleアーカイブ、原本出版年:1919、原本出版者:わんや江島伊兵衛、節分

【参考サイト】

『国立国会図書館』(本の万華鏡)「第21回 大豆 ―粒よりマメ知識―」
『日本大百科全書』(コトバンク)「”節分”にて検索」
『農林水産省』(消費者の部屋)「節分」の日に豆をまくのはなぜですか?」

【画像出典】

photoAC(フリー素材サイト)
百鬼夜行絵巻[江戸中期](国立国会図書館デジタルコレクション)
阪卷耕漁「節分-謠曲狂言」『風俗画報』442,東陽堂,1913.2【雑23-8】(国立国会図書館デジタルコレクション)


この記事は
想いを形に、その方らしさに寄り添うブックライター
MONOKAKI WORKS 津田 が担当しました

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