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IPCC(気候変動に関する政府間パネル)とは その8
〜田邉さんのご経歴〜

IPCCインベントリータスクフォース 共同議長
公益財団法人 地球環境戦略研究機関(IGES)
上席研究員 / TSUシニアアドバイザー
田邉 清人(たなべ きよと)様

公益財団法人 地球環境戦略研究機関(IGES)
IPCC - Intergovernmental Panel on Climate Change

1997年に採択された京都議定書以来18年ぶりの国際的枠組みであるパリ協定をはじめ、気候変動に関わる国際条約や政策を検討する際には、IPCC:Intergovernmental Panel on Climate Change(気候変動に関する政府間パネル)の評価レポートが科学的根拠として用いられます。

世界で最も信頼できると言われるIPCCのレポートはどのように作られているのか、IPCCインベントリータスクフォースの共同議長をされている田邉清人様にお話を伺いました。

今回のインタビューは環境ソリューション室 三戸が担当いたします。

【関連ページ】DOWAエコジャーナル/そうだったのか!地球温暖化とその対策(7)

今回(最終回)はこれまでお話いただいた田邉さんのご経歴をお聞きしました。

【その8】田邉さんのご経歴

田邉さんの大学のご専門が何だったのかとか、どういう経緯で温暖化に関わるようになったのかという事を教えて下さい。

大学の専攻は、理学部の地球物理という学問でした。
当時、地球物理学科には、大別して3つの分野があって、学生はそれをニックネームでそれぞれ硬派・軟派・超軟派と呼んでいました。

「硬派」は個体としての地球を扱うんですね。例えば、地震学や火山学です。
「軟派」は流体系の、空気・大気とか海洋を扱う地球物理学で、海洋学とか気象学っていうのがそこに入るんです。
「超軟派」は、比較惑星論というか、火星や水星や金星と地球は何が違うのか・・みたいな研究分野です。

僕はもともと硬派だったんです。大学1年のときに、地震に興味を持って、それで、地震学とか、火山学系のほうから地球物理学科に入っていったんです。
3年、4年生のときは地震予知の研究などをやっていたんですが、大学院に入る頃にIPCCが活動を始めて、ニュースなどに気候変動や温暖化問題が出てくるようになって、そこでちょっと興味が変わってきて、軟派の気象学系に進みました。

気象学って、普通は天気予報レベルの1週間とか、1カ月とか、それぐらいのスパンの研究をするのですが、僕は気候の変化を100年単位で研究をしているチームに入って、温暖化の世界に入った。そんな感じです。

IPCCの最初の報告書が1990年ですね。

IPCCの最初の報告書が発表されたのが1990年、その頃、まさに気候変動の研究をやっていました。リオサミットが1992年でUNFCCC(気候変動条約)ができて、世間で気候問題が盛り上がり始めた頃、僕は学生の最終盤ぐらいで、そのまま研究を続ける道もあったのですが、結局、それまでの研究とは無関係な銀行系のシンクタンクに就職しました。

入社したときは別に、温暖化問題をやろうと思っていたわけではく、何でもやりますという部署に入ったんですが、そのシンクタンクに当時の環境庁から、「日本の温室効果ガスの排出量の計算をしてくれ」という依頼が来て、僕がそういうバックグラウンドを持っていたので、担当するようになった。という感じで、だんだんこの世界に深く入り込むにようになって、今に至っている。・・そういう感じです。

民間のシンクタンクの後にIGESに移られたんですね。IGES設立が1998年のはずなので、IGESの初期からいらっしゃるんですか。

IGESが設立された時は在籍してはいなかったのですが、設立から1年ほどたった頃にIGESに関わるようになりました。

IPCCは、1997年12月の京都議定書の成立を受けて、1998年にIPCCにインベントリータスクフォース(Task Force on National Greenhouse Gas Inventories(TFI))が設置され、日本がその事務局機能を引き受けることになりました。

当時そのタスクフォースの前身だったプログラムの事務局機能はパリのOECDにあったのですが、そこから事務局機能を日本のIGESに引き継いで持ってこなきゃいけなくなり、その仕事を、当時シンクタンクで関連業務をしていた僕が請け負ったんです。

引き継ぎ作業をするためにその民間シンクタンクからIGESに出向し、3年間IGESで働いて、出向期間が終わるときに、シンクタンクを退職してIGESに移ったんです。

地震から気候に、つまり硬派から軟派に興味が移ったときのは、何かきっかけがあったのですか?

IPCCの最初のレポートが出た頃で、一般的、世間的にも温暖化という話がよく聞かれるようになって、だんだん興味が湧いてきたという感じです。
それと、地震もそうなんですけど、地球を相手にするというスケールの大きさに惹かれたというのもありますかね。

国連の機関などで働きたいと思う学生さんも多いと思うんですが、どうやったら働けるのでしょうか、求人のようなものはあるのでしょうか。

求人は出ていますが、必ず、何かその関連系の仕事経験が何年なければいけないという条件が付いていますね。

そうか・・こういう仕事に就きたいって思えば、自分でそれなりにロードマップ描いて、まず、この分野に関連する業務につき、下積みを自分で積んでから応募するという流れになるんですね。
ところで、田邉さんはまだ48歳ということは、この先AR7までぐらいまではTFIの共同議長をされるんですか。

実は、私は任期がもう決まっていて、今期のAR6が完成するまでで、次は無いんですよ。
2022年にAR6が完成すると選挙は2023年にあるのですが、同じポジションで選挙に出ることは禁じられているので、再選はあり得ず、そこでもう終わりなんです。

このルールは、2009年に起きた、クライメートゲートと呼ばれている事件をきっかけに作られたものです。
クライメートゲートというのは、IPCCのレポートの執筆者たちのメールが外部に流出して、そのメールの文面から彼らがデータの操作をしてよこしまなことをしてるんじゃないか・・と疑われる事態に至った事件です。

結局、その執筆者たちにやましいところはなかったのですが、その事件をきっかけとして透明性を高めるためにルールが厳格になって、同じ人が同じポジションに居続けないようにする再選禁止規定がその時にできたんです。

前の共同議長だった平石さんの在任期間中は再選禁止のルールはなかったので16年間共同議長をされていましたが、今は16年も続けるなんていうことは不可能になったんです。

同じポジションがダメならば、よそに行くことは大丈夫ですか。例えば、ワーキンググループの1の共同議長になったり・・。

ポジションを変えるっていうのはあり得ますが、専門性が全然違いますから(笑)。

そうですよね・・・。

今回でインタビューは終わりですが。IPCCの報告書は政策決定者から承認を得る事、それが完全コンセンサスである事、温暖化懐疑派の人たちも執筆メンバーに入っている事など、驚きの連続でした。

我々が中々知りうることができないIPCCの仕組みを色々な事をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。
AR6の発表は2022年とのことで、まだまだかなり先にように感じられますが、温暖化対策が進むように微力ながら努力したいと思います。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


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